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Takahashi Hiroko 高橋 裕子
1960年横浜生まれ。射手座。A型。国際基督教大学教養学部語学科卒。雑誌の編集記者、医学翻訳を経てフリーの翻訳者に。また長年にわたり、自己成長や癒しに関するセミナー・ワークショップの通訳をつとめる。翻訳書多数。 そのかたわらエッセイ・詩・評論などのコラムを執筆、2009年に初の著書『チョコレートブラウニーにタバスコを』を出版。スピリチュアル・カウンセラーとしても活躍中。
幼い頃から本の虫で、1時間も2時間も読みふけっては意識がぼうっと別世界に
飛んでいるような子どもでした。小学校は親の転勤先の八戸でミッションスクールへ。
豊かな情操教育を受け、英語とピアノはここで楽しくスタート。
背の高さを買われて子どもオーケストラのコントラバスを弾いたことも!
海の幸に恵まれた環境で、「またヒラメ?」という罰当たりな感想を
もらしたそうです。犬に追いかけられて苦手になったのもこの頃。
中学から横浜に戻り、横浜翠嵐高校へ。名前から他県では私立女子校と間違われるも
れっきとした元旧制中学の県立で、元男子校らしく自由闊達な校風が幸いでした。
放送委員会でアナウンサーをつとめ、ちょっとだけDJもどきにも挑戦。
ちょうど”エアチェック”の時代、ラジオのFENから情報を得て洋楽を聴きまくり。
進学したICUは個人主義で独立心旺盛、「群れない」気質がこれも肌に合いました。
盲人学生のための点訳サークル、コントラクトブリッジクラブなどに所属。
ただし横浜から往復4時間のため、遊ぶひまのない大学生活でした。
国際アビリンピック(障害者による職業技能競技大会)の学生ボランティアとして
フィリピン選手団の通訳介助を担当。グループリーダーとして1年近く打ち込みました。
同時通訳の草分けである故・斎藤美津子先生に師事しましたが、まわりに帰国子女が
たくさんいたので、留学経験もない自分が英語で食べていけるとは思わず…。
卒業後は出版社を志望、雑誌『暮しの手帖』編集部で5年、『レタスクラブ』で1年。
多忙で貴重な人生経験を重ねつつ、興味のあった翻訳の仕事にアプローチして独立。
その移行期には㈶熱帯医学協会という当時の厚生省の外郭団体で、WHOなどの資料の
翻訳に携わりました。分厚い医学用語辞典を引きながら、マラリアや黄熱病や、最近
話題になったデング熱などを扱ったレポートと取り組んだものです。
ヴォイス社から初の訳書『ビジョンクエスト』を刊行してからは、仙人のごとく家に
こもってコツコツと静かな翻訳生活を2年ほど。
「夢の印税暮らし」とはいかず、通訳の仕事も受けるようになって活動の両輪に。
それと並行して、精神世界/ニューエイジのセミナー等を受講するうち、
関野あやこさんのスペシャルセミナーでは知識偏重から日常の実践へと変化が始まり、
スーザン・ケリーさんのアミュレットに出会ったことでエネルギーに対する感受性に
目覚め、レバナ女史の通訳をつとめたことを契機に米国クリアサイト・システムの
エネルギーワークとリーディングを本格的に習得。
そして透視リーディングとスピリチュアル・カウンセリングの個人セッションを開始、
今に至ります。 ↑