ひとの弱さが切ない件
- 高橋 裕子
- 2016年6月22日
- 読了時間: 2分
ついに都知事が辞職した。
これで良かったのかについては異論もあるけれど。
大騒ぎが鎮静化して、ほっとしている自分もいる。
ずっと気分が悪かったからだ。
最初はもちろん彼のしたことや弁明の態度や、
公人/公僕としての振る舞いに対して。
でも最後のほうは状況全体にうんざりしていた。
その前に槍玉にあがっていた芸能人の恋愛沙汰も、
もっと前に覚せい剤で捕まった元野球選手も、
それぞれ内容と立場は違うものの
やはり最後は「もうたくさん」という気分になった。
もうこれくらいでいいんじゃない?
と言いたくなったのはわたしだけだろうか。
もちろん悪意ある犯罪だったら解明すべき、追究すべきで
”不適切なこと” も指摘して議論したい。
でも所業がだいたい明らかになって、
逃げ場がなくなった人をつつき回してボロボロにするのは
リンチにかけているみたいで、やるせないのだ。
どの件も、人間の”弱さ”の実例にすぎない気がする。
世の中そんなに清廉潔白な人ばかりではない。
叩けばホコリが出る人なんて、たぶん大勢だ。
生涯をふり返って、ほんのちょっとでも悪いと思うことを
しでかした経験がない人なんて、いるだろうか。
彼らは特に責任ある公人だったり、夢を与える仕事だったり、
だからこそ失望したり憤る気持ちもわかるけれど。
自分にまったく罪がないと言える者だけ罪人に石を投げよ、
というキリストの言葉を思い出す。
誰しも世の中や人生に対して不満があって、
石を投げる格好の標的ができると、つい余計にぶつけてしまう。
それでは後味がわるすぎて、誰もハッピーにならないのに。
次に同じようなことがあったら、
ずうっと俯瞰までズームを引いて、胸に手をあてて、
自分の中にもある”弱さ”を思い出す機会にしようか。
すこしでも、強くなれるように。
痛い目にあってくれた反面教師たちにも敬意を払って。
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